こんにちは,ヨカワユキです。
グレゴリー・ケズナジャットの小説『開墾地』を読みました。
2つの言語と2つの国で生きる登場人物たちの生き方や繊細な心の機微に触れ,私自身の日本と日本語,そして英語という言葉との関係性について,改めて深く思いを巡らせるきっかけになりました。
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著者紹介
『開墾地』の作者であるグレゴリー・ケズナジャット氏は,1984年アメリカ出身。
アメリカの大学を卒業後,来日して日本文学を学び,現在は日本の大学で教鞭をとっているようです。
母語は英語でありながら,彼は『開墾地』を日本語で執筆しています。
母語ではない言語で書かれた文学はよく「越境文学」と呼ばれますが,本作はもその1つです。
目を引く表紙
私がこの本を手に取ったとき,表紙に目を奪われました。
表紙には,3つの異なる葛の画像が配置されています。
小さな外国人の男の子が葛まみれの洋風の家の前に立つ白黒写真。
写真一面を覆い尽くす葛のカラー写真。
日本の古書物に描かれていそうな葛の絵。
「なぜ葛?」という疑問が浮かぶとともに,『開墾地』というタイトルから,葛に覆われた場所を開墾する話かな?と想像が膨らみました。
『開墾地』のあらすじと舞台
物語は,日本の大学院(博士課程)で日本文学を研究するアメリカ人のラッセルが,夏季休暇を利用して故郷であるアメリカ・サウスカロライナ州に帰省するところから始まります。
ラッセルは,家の手入れと土地の管理をしながら一人で暮らしている父と時間を過ごします。父はイラン出身で,留学生としてアメリカに渡り,卒業後もそのまま滞在し,英語を使って生活しています。
小説では,父と過ごす静かな時間に加え,父の人生,幼い頃の父との思い出,そして父とは対照的な生き方をする父の従兄弟のことも描かれます。
また,故郷に帰ったラッセルが,地元のホームセンターなどで地元の人々と接することで湧き上がった,繊細な感覚が丁寧に綴られています。
言葉と土地の狭間で生きる人々
作者が『開墾地』で描きたかったのは,「2つの言語と2つの土地の間で,人は何を感じ,どう生きているか」ではないだろうか。
主人公のラッセルは,アメリカ生まれで英語が母語。
日本に住んで,日本語と日本文学を研究している。
ラッセルの父は,イラン生まれでペルシャ語が母語。
英語を独学で身につけアメリカ留学の夢を実現しました。
イランに帰る気はありませんが,常にペルシャ語の音楽や映画に親しんでいます。
父の従兄弟は,イラン生まれでペルシャ語が母語。
父と同じくアメリカに移住しましたが,同郷のコミュニティで生活し,メインで使う言語はペルシャ語です。
三者三様の生き方が描かれ,「言葉とは」「自己とは」という問いを投げかけてきます。
私自身の「言葉」への思い
日本で生まれ育ち,日本語を母語とする私はどうでしょうか。
英語を学び,外国人と英語で会話する際,日本語と英語の間で感じる感覚。
日本で生活していること,日本語について感じていること,英語を話す「自分」について感じていること。
この物語は,英語の勉強に力を入れ始めた20年ほど前によく考えていた,「言葉と私」の関係について,久しぶりに思いを巡らすきっかけとなりました。
時が経ち,様々な経験を経て,あの頃と変わったこともあれば,変わらないこともあり,葛藤もあり⋯
久しぶりにこのことに向き合うことができました。
タイトルに込められた意味
最後に『開墾地』というタイトルについて。
このタイトルは,ラッセルの父の人生を象徴しているように感じました。
すぐ家の敷地に侵入してくる生命力の強い葛を何度も撃退し,家を守り続ける父。
イランからアメリカという新天地にやって来て,言葉や文化の違いを受け止め切り開き,英語が飛び交う社会で生き続けている父。
まさに,父が生きているのは,物理的にも精神的にも,父自身が開墾した土地なわけです。
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